2006年5月13日 (土)

「なぜ」って大切

先日、私のブログにコメントをして下さった方がいました。その方の言われることを読んでいて、思い出したことがあります。

数ヶ月前の子どもの学校の保護者会でのことです。その頃、子ども達の間で学校に飴などのちょっとしたおやつを持ってくることが流行っていたそうです。
もらったらお返しをしなくてはならないとの生真面目な気持ちもあって、割と多くの子ども達が、持ってきたことがあったそうです。
その中で、お母さんが日本人で、お父さんがドイツの方の家庭では、なぜ学校におやつを持ってきてはいけないのか、お父さんには理解してもらえなかったそうです。ドイツでは、学校で過ごす時間が長く、おやつが出るのが当然だったそうです。
そのため、そのお母さんは担任の先生に「どうしてなのか夫に説明するためにも教えてほしい。」と質問されました。その時の先生の答えが「日本の学校では、学校にはおやつを持ってきてはいけないからです。」でした。
確かにルールとして、日本の学校では学校はおやつを持ってくるところではありません。確かにその通りなのです。が、ではなぜドイツの学校ではよくて、日本の学校ではいけないのでしょうか。習慣が違うと言ってしまえば、反論の仕様のないことですが、その一言だけで片づけてしまっては何か物足りない気がします。
どのような理由付けであれ、論理的なものであれば納得はできるはずです。

やはり、「なぜ」「だから」はきちんと考えるべきことだと思います。
理解ができれば、受け入れることは簡単なことなのですから。

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2006年5月10日 (水)

格差社会

小泉政権では、格差社会が大きくクローズアップされてきました。小泉さんは「格差があってなぜ悪い」というような発言をされたようです。

確かに、格差のない社会はあり得ないと思います。格差のない社会が理想だとは思いますが、実際実行することは不可能に近いのでしょう(共産主義も衰退の一途をたどっているようですし…)。たくさんいる人間はひとりひとり違うのですから、みんな一緒というのは無理なのでしょう。

でも、今の日本は格差が拡大している社会だと思います。「勝ち組」「負け組」などという言葉が流行っているのもそれを表しています。
格差が拡大しているということは、「一部の人は高所得で、どんどん豊かな生活をしている。反対に、一部の人は生活保護を受けている。また、生活保護を受けている人が増えている。」ということです。

格差があるのは当然ですが、その格差はなるべく小さい方が生きやすい社会だと思うのですが…。誰にとっても…。

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2006年4月30日 (日)

愛国心

先日から、教育基本法の改正案について、いろいろと議論されているようです。とうとう与党案が正式決定されたそうですね。与党の間でも「愛国心」については、意見が分かれたみたいです。

国を愛する心は、それ自体は何の問題もないことですし、所属している国を大切に思うことはおそらく当然のことでしょう。でも、文字にしてみると何か違和感を感じてしまいます。ましてや、法律の中に規定することはやはりおかしいことです。

心の問題は他者から強制されることではないと思うのです。社会生活を営む上での最低限のルールは誰もが守らなければならないことです。それを守らなければ、罰則を受けることになっても仕方のないことでしょう。その意味で法律の規定が存在することは必要なことです。でも、守らなければならない自分の心の問題ってあるのでしょうか。信じるものを他人から強制されなければならないのでしょうか。
国歌や国旗の問題も同じだと思うのですが。

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2006年4月22日 (土)

民主主義

先日、夫から聞いた話ですが、「署名をすることはいけないことだ」とおっしゃる大人の方がいたそうです。

皆さんご存知のとおり、署名というのは、役所などにみんなの意見を聞き入れてもらうために、趣旨に賛同する人が、同じ意見だと言って自分の名前を書くことですよね。

私も、子どもの頃は「署名なんてどうしてするんだろう。そんなことをして大丈夫なのかなー。」と思っていました。子どもだった私は、偉い人に逆らうようなことをしてもよいのかなと心配だったのです。そんな私も大人になって、多くの人が同じ意見を持っているのであれば、偉い人だって多くの人の意見を聞くことが必要だということがわかってきました。

署名といっても、自分の意見と合うものもあれば、合わないものもあると思います。自分の意見と同じものだけに署名すればよいのです。合わないものまでおつきあいで署名する必要は全くありません。でも、おそらく日常頼まれるすべての署名が合わないということはないでしょう。自分で内容を吟味することなく、署名はすべていけないものだと思いこんでしまうことは、少し心配なことです。

東京都教育庁は、職員会議で教職員による挙手や採決を行ってはならないとする通知を都立高校などの学校長に出したそうです。ある識者は「このような状況で、生徒達に民主主義の多数決原理をどうやって教えるのか。」とコメントしていました。本当にそのとおりだと思います。これもまた、心配なことです。

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2005年10月 4日 (火)

歴史教科書

8月に教育委員会で中学校社会科教科書の採択がありました。なんと小金井市でも扶桑社の歴史教科書が採択されそうになっていたのでした。とにかくびっくりしました。恥ずかしいことですが、どこか遠い地域で問題になっている程度の認識しかなかったからです。自分の子どもが正しい書籍として学ぶ教科書にまで、ことが及んでいるなどと思いもしませんでした。

あの戦争が、日本の自存自衛とアジアを欧米の植民地支配から解放するための戦争であったと書いているなんて。あの原爆についても、事実の記載があるのみで、犠牲者数も出てこないなんて。

一時期中国での反日感情が高まったことがありました。あれも、中国での教育がかなり影響していると言われていました。日本も同じことをして、お返しでもしてやろうと思っているのでしょうか。

自分の子どもには本当のことを伝えたいと思います。どんなに悪いことでも真実を教えたいと思います。

学校で事実あったことを教えてくれないなら、親が教えなければならなくなります。学校の先生は嘘を言っているんだよと言わなければならなくなります。それとも、親も黙って自国の都合のよい事実だけが存在したのだと信じるようになりなさいとでもいうのでしょうか。それを大人達が進めようとしているとは考えたくありませんが、事実のようです。

今ある大人達は今の子ども達をどうしようとしているのでしょうか。これからの社会をどのような方向に導こうとしているのでしょうか。非常に不安です。

(なぜ原爆の被害を記載していないのか不思議に思っていたのですが、息子の元担任の先生が「原爆を持とうとしているとしか思えないですね。」とおっしゃっていました。二度びっくりです)

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2005年9月10日 (土)

社会的弱者について

衆議院議員選挙を明日に控え、候補者の方は最後の挨拶をされているようです。今回の選挙では自民党から女性候補者が多く出ており、随分前になりますがマドンナ旋風の頃のことを思い出したりします。議員の中には女性が少なく、社会では半分を占める女性の意見を反映させる政治が実現するのであれば、女性議員が増えることは大変よいことでしょう。でも、今回の選挙ではそのような趣旨で女性候補者が増えたわけではなさそうなので、懸念する意見も多いようですね。

私は一応勉強し、それなりの大学に入り、それなりの資格をとり、それなりの仕事をしてきました。すべてにおいて効率が優先する世界で生きてきたわけです。ところが、子どもを産んで180度世界が変わりました。子育ての世界では効率のことは考えてはいけないのです。効率の中では子どもが余裕を持って育っていくことはできないのです。社会生活(経済生活)の中では効率を優先し、家庭生活の中では効率は考えてはいけない。そのような環境にいて初めて女性や子どもは弱者だったのだと気づきました。

今回の女性候補者の顔ぶれを見ていて思ったことは、彼女らは女性ではありますが、社会的には男性に等しいのではないかということです。立派な職業や肩書きを持ち、社会的には圧倒的な強者です。もしかしたら、多くの男性より強者であるかもしれません。強者の方が弱者である同じ女性の気持ちを理解しようとしてくれればよいのですが。「女性議員」という肩書きが一つ増えるだけでは困ります。

庶民の立場からは、すべての弱者の気持ちを理解し、政治に生かしてくださることを祈るだけです。

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2005年9月 9日 (金)

相手の立場

先日、私が所属する司法書士会の広報誌においてセクシュアル・ハラスメントを容認する内容が掲載されているということで、大問題になったことがありました。

私は、ハラスメントの問題が起きるのは他者の立場を考えることができない人がいるからだと思っています。他者の立場に立てば、気を悪くするようなことを言うことはできないですし、ましてや行動することはできないはずです。

世の中の多くの男性は自分が弱者であると感じたことは少ないと思われます。強者であると思っているということもあまりないのかもしれませんが。

女性であり、子育てを経験したことから感じたことは、社会的弱者の本当の気持ちはその立場になったものにしかわからないということでした。わからないから、わかるよう努力することが必要です。

大人の世界でもこのような状況なのですから、子どもの世界でも同じです。息子のクラスの学級通信を読んでいても、子ども達の惨状が報告され、それを必死に戻そうと担任の先生ががんばっていらっしゃいます。

世の中が豊かになり、経済だけが重視されるような社会になれば、自分さえよければいい、お金がすべてを解決するという風潮になってしまうのでしょうか。自分の利益を追求することだけが正しい生き方になってしまうのでしょうか。他人は関係ない、自分のことがすべてだと考える人がほとんどになってしまうのでしょうか。寂しい限りです…。

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