学校の先生も反面教師?
前回、校長先生が変わったことによる学校の変化について書きましたが、我が家では校長先生が配られた学校経営方針についてどうしても納得がいきませんでした。
そのためうちの夫は、個人的に校長先生宛にお手紙を出しました。はじめに出したのが、7月下旬でした。夏休み中とはいえ、普段よりも先生には余裕があったはずなのに、全く何の連絡もありませんでした。ほったらかしにされている上、新学期はじめの全校生徒への配布物で、夫が指摘したことについて軽く再度の説明がされているのです。一保護者の意見であれば、軽視する姿勢であるとは考えたくなかったのですが、このまま黙殺されてしまうのは納得がいかなかったので、再度手紙を出しました。一応返事は返ってきたものの、とうてい納得がいかないものだったので、直接学校に会いに行ってきたのが9月13日でした。
そこで最後に校長先生が言われました。
「学校のことは私に任せてほしい。」と。
ひとりひとりの意見が異なることはよくあることです。皆が同じ意見になるとはとうてい思えません。しかし、他人の意見は他人の意見として尊重することは何よりも重要なことです。それは子ども達へも教えるべきことでしょう。
また、社会一般常識で考えられていることと、ある特殊業界で通用する理論とは別物として存在することを理解することも重要です。それをいっしょにしてしまうととんでもないことになってしまいます。
また、どんな人でも全世界のすべてのこと知ることはできません。「自分の知っていることがすべてであり、それだけでよい」なんてことは大人になれば通用することではありません。
子ども達には、自分の知っていることと知らないことが存在することが理解できる人間になってほしいです。
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コメント
本日。「相手の立場」で検索していて、このブログを見つけました。なるほどと考えさせれることが書いてあって感銘しています。
「ひとりひとりの意見が異なる」ですが、これに関連することなのですが、最近、「構造主義」に関する本を読んでいます。「構造主義」をあえて簡単に言えば、「人の考え方は、その人の民族、言語、国家、社会的階層、成育環境、政治的な環境、生活地域といったその人が所属する構造に規定される」というものです。したがって、世の中に絶対的なものがあると考えることに無理があることになります。そして、これは、数学、言語学、精神分析学、文芸批評、生物学、文化人類学等に影響を与えているそうです。この考え方は、「相手の立場」に通じるところがあって、「ひとりひとりの意見が異なる」からこそ、「相手の立場」で考えることが必要なのではないかと思うのです。
昨今、「道徳教育」が叫ばれていますが、これには同意できないところがあります。これをすることは悪いこと式の教育は無理だと思います。昔と違って、なぜ、それをしてはいけないのと、何故を問える民主的な時代になったからです。そこでも、やはり、人それぞれの違いを認め、「相手の立場」で考える環境作りが必要ではないかと思います。この姿勢が身につけば、戦争もなくなるのではないかというロマンを描いています。
投稿: Jack | 2006年5月 9日 (火) 05時16分
コメントありがとうございます。
人の意見をそれはそれとして受け入れることができる。
自分は別の意見を持つとしても…。
そのような方がたくさんいることを望みます。
書いていただいたコメントで考えることがありましたので、それをネタにまたブログを書きますね。
投稿: くにこ | 2006年5月 9日 (火) 09時21分