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2005年9月29日 (木)

先生の転勤

何回かうちの息子が通う学校の校長先生について書いてきましたが、一般市民の立場というのはいつも受け身でいなければならないものなのかしらと思ってしまいます。

一部の地域は例外として、公立では学校を選ぶこともできない。先生を選ぶこともできない。もちろん校長先生を選ぶことなど不可能。子ども達が成長するのに最も重要であるはずの学校が先生や他の大人のものだとしたら、子ども達はどこに行けばよいのでしょうね。

子どもにとってはせっかく信頼できる先生に出会えたのに、どんなにその学校の子ども達に人気がある先生でも数年で転勤させられてしまう。しかもそれが校長先生の個人的な意見でできてしまう。反対に、校長先生と合わなければ、先生も自分から転勤してしまう。(先生も労働者の立場にあるのですから、転勤希望自体を非難することはできないのですが、親の立場から言えばとても悲しいことです。)また、卒業して母校に遊びに行っても、先生に会うこともできない。(転勤は仕方がないことだというのはわかりますが、子ども達にとっては、母校と先生は一体のものだと思うのです。)

今他の大人達がやろうとしていることは何なのかさっぱりわかりません。

原則3年で先生が転勤するなんて信じられません。先生もその学校に慣れ、子ども達も先生に慣れるのに、最低6年は必要なのではないでしょうか。それに親も加われば、もっと必要かもしれないと思います。

自分の子どもが学校に入り、私の子どもの頃に比べると、今の学校は親の学校に対する敷居が低くてよくなっているなと感じたばかりでした。別の面では悪くなっているのであれば、教育界というのは代わり映えのしないものなのですね。30年も経っているのですけど…。

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2005年9月27日 (火)

読書大好き

私は読書が大好きなのですが(特に小説、中でもミステリーは最高ですね)、うちの夫はあまり読書をしません。ひとりで読み、ひとりでふふふっと喜ぶのもよいですが、読んだ本の感想を言い合うことはまたさらに楽しいことです。でも身近に趣味が合う人がいないと、これもかないません。

今年の5月から小金井市の図書館ではインターネットで書籍を検索し、予約ができるようになりました。家にいながらにして、次に借りたい本を予約できるのです。とても便利になりました。ただ一つ残念なのは、誰かが借りている本しかインターネットで予約ができないことです。誰にも借りられずに、どこかの図書室にある本は、近くの図書室に出向いて用紙に記入して予約をしなければならないのです。今後はこれもインターネットで借りられるように小金井市には改善してほしいものです。

わずかずつですが成長しているらしい我が息子も最近読書をするようになりました。本を全く読まないなさけないお子様だったのですが、先生の指導もあって、今年の夏休み前から気に入った本は読むようになりました。

児童書も馬鹿にはできません。ハリー・ポッターもそうですが、かなりおもしろいものも多いですね。もちろん大人の私もいっしょになって読んでいます。子どもの頃児童書の名作をほとんど読んでいない私も今頃になって読んだりしています。それには図書館は便利なアイテムです。税金で手当たり次第読書が楽しめるのですもの。

私の身近にもやっと読書の感想を言い合える仲間ができて、うれしい限りです。

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2005年9月22日 (木)

政治と学校

衆議院選は自民党の圧勝に終わりましたが、その勝因は選挙制度のせいだった等いろいろと言われているようです。小泉首相の郵政民営化一本に絞ったマニフェストがわかりやすかったからもあるのでしょうか。圧勝しすぎで少し怖い気もしますが。民主党も二大政党化に向けてがんばっていたようなのですが、マニフェストがわかりにくかったのでしょう。主張が今一はっきりしなかったようにも思えます。他の政党も善戦はしたのでしょうが、小泉劇場に埋没してしまったのかもしれません。

確かに私も、選挙前に各党のマニフェストをよく読んだとは言えません。郵政民営化ですら、賛成も反対もしかねます。メリットとデメリットがどのように絡み合うのか。正直言ってよくわからないというのが本音です。どの政党のマニフェストをみても、そりゃそうだねーという感想しか出ないのです。

校長先生が配布した学校経営方針についても、立派なことが書いてあるのです。読めば、感想はそりゃそうだねーとなるのです。

「一見よいことのように見えること」、「言葉だけを読むと立派であるように感じる文章」は、それだけで人を煙に巻いてしまいます。裏に隠れている本当の意図を理解できていないうちに、表面上の意味だけを理解しただけで、すべてわかったかのように錯覚してしまうのです。

マニフェストについても学校経営方針についても同じことが当てはまるのです。政治と学校って離れているようで、実はとてもよく似た構図を持つものだったのですね。残念なことですが…。

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2005年9月20日 (火)

校長先生って何?

「私は東京都から来ました。」

先日校長先生との話の中で、おっしゃった言葉です。校長先生というのは、派遣されてくるものだったのですね。衆議院選の落下傘候補みたいなものなのでしょうか。小学校の校長先生としてそこに通う子ども達のために、何が子ども達に必要なのかを考えてくださる方だと思っていたのですが。

学校の先生は書類を相手にするデスクワークではなく、人を預かる仕事なのですから、人の気持ちがわかる人でなければ困ります。話をするなら、相手が本当に聞きたいことは何か、知りたいことは何かを考えようとする人でなければ勤まらないはずです。児童の親ともまともに話し合うことができないようなら、子ども達と話し合うことなどできないでしょう。それとも校長先生というのは、子ども達とは話をすることはなく、先生とだけ話をするものなのでしょうか(先生方が相手でも同じことだと思うのですが)。校長先生の役割というものがわからなくなりそうです。

しかし、校長先生によって学校の運営が変わってしまうのであれば、校長先生は市民が選ぶべきものなのかもしれません(本当に政治家みたいですね)。また、校長先生によって学校が特色づけられるのであれば、子どもを通わせる学校を親が選ぶ権利があってもよいでしょう。

どんな小さな組織であっても、トップに立つ人、立ちたい人は、権力が好きな人だということでしょうか。でも権力を笠に着るような人には、教師として子どもに教えてほしくはないですね。本当に…。

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2005年9月16日 (金)

学校の先生も反面教師?

前回、校長先生が変わったことによる学校の変化について書きましたが、我が家では校長先生が配られた学校経営方針についてどうしても納得がいきませんでした。

そのためうちの夫は、個人的に校長先生宛にお手紙を出しました。はじめに出したのが、7月下旬でした。夏休み中とはいえ、普段よりも先生には余裕があったはずなのに、全く何の連絡もありませんでした。ほったらかしにされている上、新学期はじめの全校生徒への配布物で、夫が指摘したことについて軽く再度の説明がされているのです。一保護者の意見であれば、軽視する姿勢であるとは考えたくなかったのですが、このまま黙殺されてしまうのは納得がいかなかったので、再度手紙を出しました。一応返事は返ってきたものの、とうてい納得がいかないものだったので、直接学校に会いに行ってきたのが913日でした。

そこで最後に校長先生が言われました。

「学校のことは私に任せてほしい。」と。

ひとりひとりの意見が異なることはよくあることです。皆が同じ意見になるとはとうてい思えません。しかし、他人の意見は他人の意見として尊重することは何よりも重要なことです。それは子ども達へも教えるべきことでしょう。

また、社会一般常識で考えられていることと、ある特殊業界で通用する理論とは別物として存在することを理解することも重要です。それをいっしょにしてしまうととんでもないことになってしまいます。

また、どんな人でも全世界のすべてのこと知ることはできません。「自分の知っていることがすべてであり、それだけでよい」なんてことは大人になれば通用することではありません。

子ども達には、自分の知っていることと知らないことが存在することが理解できる人間になってほしいです。

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2005年9月14日 (水)

学校について求めること

今年の春から、うちの息子が通う小学校の校長先生が変わりました。校長先生が変わったところで子どもや親にとって何も変わるものはないと思っていました。

23区内では皆が備え付けているそうですが、防災ずきんを各自が用意することに決められました。

2日あった授業参観では、毎日授業の説明のプリントが用意されていました。

また、学校説明会が開かれました。

これらのことは一見よいことのように見えるのですが、どうも首をかしげざるを得ない問題を含んでいると思ってしまうのです。

防災ずきんについては、作ってくださいとの図面付きのお手紙が届いただけで、購入の取り纏めもないものでした。どうしても必要なものであれば、きちんと説明して、希望者だけでも学校での一括購入を勧めてもよいように思えます。何か突き放したような不親切なものを感じます。私などは、初めてのことなので、よくわからずどうしようかと悩んでしまいました。

授業参観も、説明のプリントを配ることはよいことなのでしょうが、ただでさえ忙しい担任の先生に大きな負担になっていないでしょうか。親が本当に求めていることはそのような形が立派なものより、先生がきちんとひとりひとりの子どもを見てくれることではないでしょうか。親としては、普段どおりの子どもが授業を聞いている様子が見られればそれでよいのですから。

学校説明会にしても、用意された配布物は足りない上に、まだ質問をしたいという親がいるにも拘らず、時間が来たという一事を持って一方的に終了してしまうようでは、開いている意味が全くないと言えるでしょう。

学校の公開等いろいろとがんばられているようなのですが、一番大切なことを忘れていらっしゃるようです。

子ども達にとって何が一番必要なことかと考えることを。

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2005年9月10日 (土)

社会的弱者について

衆議院議員選挙を明日に控え、候補者の方は最後の挨拶をされているようです。今回の選挙では自民党から女性候補者が多く出ており、随分前になりますがマドンナ旋風の頃のことを思い出したりします。議員の中には女性が少なく、社会では半分を占める女性の意見を反映させる政治が実現するのであれば、女性議員が増えることは大変よいことでしょう。でも、今回の選挙ではそのような趣旨で女性候補者が増えたわけではなさそうなので、懸念する意見も多いようですね。

私は一応勉強し、それなりの大学に入り、それなりの資格をとり、それなりの仕事をしてきました。すべてにおいて効率が優先する世界で生きてきたわけです。ところが、子どもを産んで180度世界が変わりました。子育ての世界では効率のことは考えてはいけないのです。効率の中では子どもが余裕を持って育っていくことはできないのです。社会生活(経済生活)の中では効率を優先し、家庭生活の中では効率は考えてはいけない。そのような環境にいて初めて女性や子どもは弱者だったのだと気づきました。

今回の女性候補者の顔ぶれを見ていて思ったことは、彼女らは女性ではありますが、社会的には男性に等しいのではないかということです。立派な職業や肩書きを持ち、社会的には圧倒的な強者です。もしかしたら、多くの男性より強者であるかもしれません。強者の方が弱者である同じ女性の気持ちを理解しようとしてくれればよいのですが。「女性議員」という肩書きが一つ増えるだけでは困ります。

庶民の立場からは、すべての弱者の気持ちを理解し、政治に生かしてくださることを祈るだけです。

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2005年9月 9日 (金)

相手の立場

先日、私が所属する司法書士会の広報誌においてセクシュアル・ハラスメントを容認する内容が掲載されているということで、大問題になったことがありました。

私は、ハラスメントの問題が起きるのは他者の立場を考えることができない人がいるからだと思っています。他者の立場に立てば、気を悪くするようなことを言うことはできないですし、ましてや行動することはできないはずです。

世の中の多くの男性は自分が弱者であると感じたことは少ないと思われます。強者であると思っているということもあまりないのかもしれませんが。

女性であり、子育てを経験したことから感じたことは、社会的弱者の本当の気持ちはその立場になったものにしかわからないということでした。わからないから、わかるよう努力することが必要です。

大人の世界でもこのような状況なのですから、子どもの世界でも同じです。息子のクラスの学級通信を読んでいても、子ども達の惨状が報告され、それを必死に戻そうと担任の先生ががんばっていらっしゃいます。

世の中が豊かになり、経済だけが重視されるような社会になれば、自分さえよければいい、お金がすべてを解決するという風潮になってしまうのでしょうか。自分の利益を追求することだけが正しい生き方になってしまうのでしょうか。他人は関係ない、自分のことがすべてだと考える人がほとんどになってしまうのでしょうか。寂しい限りです…。

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2005年9月 8日 (木)

子どもの人権 その2

うちの息子は、今年「小金井市子どもの権利条例」策定委員会素案に対する市民会議の子ども会議に参加していました。

小金井市は今、全国でもまだ数の少ない子どもの権利に関する条例を制定する準備に入っています。子どもの権利に関する条例は、1989年に国連で採択され、1994年に日本が批准した「児童の権利に関する条約」を具体化する条例です。小金井市では、市長の委嘱により小金井市子どもの権利条例策定委員会を設置し、現在委員会草案が出され、その内容について市民レベルでの意見を集めようとしています。その一環として大人による市民会議に加えて、子どもの意見を反映するための子ども会議が開かれました。子どもは公募で集められ、全部で5回会議が開かれました。それにうちの息子も応募したわけです。

そこでは、消極的なうちの息子でも発言できたようです。

小学校5年生では、難しい内容だったかも知れませんが、彼の中に今年子供会議や学習センターの夏の学校で考えたことが少しでも残ればいいなと思っています。

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2005年9月 2日 (金)

子どもの人権 その1

  うちの家庭では、子供がひとりしかいないこともあり、息子はいつも親二人の目にさらされています。いろいろとうるさい小言も言われ続けています。親としては、将来自分ひとりで生きていけるようにしつけているつもりでいますが、子供にとってはうるさい親でしかないのでしょうね。一人っ子の割には要望もきいてもらえないと、きっと不満に思っているでしょう。

 前回も書きましたが、私は先日小金井学習センターの夏の学校に数日ですが参加してきました。テーマはずばり子どもの権利について考えることでした。その中で子供達は親との関係や、学校での先生との関係を通じて、自分の権利について学びました。学習の最後には、大人へのメッセージをまとめました。子供達のまとめたメッセージは、なかなかに耳の痛いものでした。

①早く帰ってきて

②ケンカしないで

③自分の立場が悪くなったとき話を放棄しないで

④大事なことを教えて

⑤テストの点が悪くても怒らないで

⑥意見をもっと聞いてほしい

⑦失敗をグチグチ責めないで

⑧ひいきしないで

⑨子どもに注意したことは大人もやらないで

 我が家では、冗談で「子供に人権はない!」などと言ったりします。どの親も、一生懸命子供のためを思い、叱っていることがほとんどでしょう。またそれが親の義務でもあると思います。でも、ひとりの人間がほかの人間に対して、上位であることを笠に着て発言している時もあるかもしれません。親も子どもも対等ではないかもしれませんが、ひとりの人格を持つ人間なのですから。相手を(たとえ子どもであっても)対等の人間として扱うことができて初めて、本当の大人といえるのではないでしょうか。

たまには、普段自分が言っていることをよく思い出し、反省することが必要ですね。

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